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『ドルアーガの塔』研究室 管理日報

『ドルアーガの塔』研究室管理人・GILによる、更新履歴だったりつぶやきだったりてきとーに。

函館ゲーセン・メモリーズ【2】ボーニストア花園店のゲームコーナー

函館駅前に、棒二森屋というデパートがある。

函館は長く、それこそ戦前から、この棒二森屋と、五稜郭付近の丸井今井(札幌にもある同店の支店)が「2大デパート」として親しまれてきたという。
他にも和光、テーオー小笠原、函館西武、さいか、ホリタ(後のダイエー五稜郭)等々デパートは多々あったが、いずれも浮き沈みの果て往時の面影も今はなく、現在も威光を放ちつつ市民に慕われているのは、棒二と丸井のふたつだけだと言えよう。

この両店にもゲームの思い出はあるのだが、それは別の機会に語ろうと思う。


棒二森屋は、かつてスーパー形態の「ボーニストア」を何店か経営していた。
そのうちのひとつが、ボーニストア花園店。花園町、という可憐な名の町に、そのスーパーはあった。
ここには家族に連れられ、何度も足を運んだことがある。
そのたびに、自分は決まって2階にあるゲームコーナーに足を運んでいた。
動く歩道のようなスロープに乗って、2階へ向かう時のワクワク感。
円い窓が宇宙船のようで、よく外を覗きながら昇っていったものだ。


ここでは、ひとつ運命的な出会いを果たしている。

ここはテーブル筐体が何台も置かれていたものの、奥は大きな窓がついており、時間帯によっては強烈な日差しが射し込むため、しばしばゲームの妨害となっていたおぼえがある。
そんなこともあってか、ここでゲームで遊んだ記憶はほとんどない。
恐らくインベーダーの頃の恐怖心もあったのだろう。少なくとも子供の頃は、ゲームといえば見るもの、であった。

ある時、買い物に連れられて来店し、いつものように一人ゲームコーナーに足を踏み入れる。
ふと奥を見ると、何やら人だかりが見えた。
当時の自分にとってはお兄さん連中、恐らく大学生くらいではなかったかと思う。

「何やってるんだろう?」

そんなシンプルな疑問に、子供の体は後先考えず、勝手にそちらに足が向く。
そこで見た光景は、今も脳裏に焼き付いているのだ。

レンガの敷き詰められた茶色いフィールドを歩く、黄色と青の人間。
横一直線にいくつも並ぶ、灰色の壁。
下方の地面に置かれた、赤い宝石の乗った台。

今ならどうやっても見間違えない、ドルアーガの塔の60階だ。

たぶん、順調にエンディングまでの道を歩んでいたのだろう。
赤い宝石の台は、立てられたレッド・クリスタル・ロッドだ。

しかし、ここでなぜか大きな思い違いをしてしまう。
「なんだ、ボーナスステージか。」
こう考えてしまったことは、未だにハッキリと覚えている。
こう判断した自分は、その続きを見ることなく、他のゲームを見にスタスタと歩き去ってしまったのだ。
もちろん、その数十秒後に見られたであろう、エンディングにも気づかないまま。


これが、自分とドルアーガの塔の、紛う事なき最初の出会いだった。
その後、ファミコン版がブームとなり、クラスメートにカセットを借りて遊んだことで虜となり、さらにカセットの持ち主でもないのに買った攻略本で、そのストーリーに魅せられ、決定的に道を踏み外すこととなる。
後にそんな運命が待ち受けているなど知らず、眼前でエンディングをスルーした場所。
それがボーニストア花園店だった。


その後、中学生時代にも何度か立ち寄ったりしたが、結局その店のラインナップは、ドルアーガ以外は全く記憶にない。
やがてボーニストア自体がなくなり、建物はそのままに中身は変わっていった。

今も建物は残り、Googleストリートビューで外観は見られる。
現在はリサイクル屋になり、外の特徴的な丸い窓などの面影を残すのみ。


大きな地図で見る

だが、この場所が自分にとって、間違いなくドルアーガの塔と初めて出会った舞台なのだ。


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  1. 2012/07/15(日) 12:00:00|
  2. 函館ゲーセン・メモリーズ
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いつの間にか&東京ドルアーガ事情@7月

いや、自分でも気がついていなかったのですが。
ほっときすぎるとダメですね…。


ここ1ヶ月の状況をささっと振り返ります。


通算58回目

6月17日、高田馬場ミカドにて通算58回目、同所では通算11回目の1コインクリア。


通算59回目

6月23日、Heyにて通算59回目、同所では通算22回目の1コインクリア。


通算60回目

6月30日、高田馬場ミカドにて通算60回目、同所では通算12回目の1コインクリア。


通算61回目

7月8日、高田馬場ミカドにて通算61回目、同所では通算13回目の1コインクリア。


というわけで、じつは通算60回クリアあっさり突破していたのでした…。
いやー、自分で節目節目言っておきながらコレかよって感じですか。なんで、次は通算100回クリアが目標ですかね…。

ちなみにもちろんいまだワンマンアーミーは達成できず…orz


そして、東京ドルアーガ事情なのですが。


東京ドルアーガ事情@7月

すでにTwitterではつぶやいておりましたが、セガ秋葉原1号館は『maimai』『初音ミク Project DIVA』入荷のため、ドルアーガの塔』は撤去された模様です。
もともと秋葉原中央道路沿いでは、ドルアーガの塔はHeyとクラブセガ秋葉原新館に設置されており、さらにセガ秋葉原1号館で3店舗目でしたので、いささか過当競争な感は否めませんでした。
今後は同店で再稼働するも良し、他店舗に新天地を求めるも良し、とにかくまたどこかで元気な姿を見せてほしいものです。

ほかは、Heyと東京レジャーランド秋葉原店は、周囲のゲームが入れ替わったくらいで場所は前回と変わっておりませんでした。
高田馬場ミカドは、フロアの隅に移動し、さらに集中できる環境になったかな、と。
クラブセガ秋葉原新館は、ちょっと場所が移動されておりました。しかし、同店ではつねに究極タイガーが至近距離で稼働しているような…?


  1. 2012/07/12(木) 23:59:59|
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函館ゲーセン・メモリーズ【1】名も無き店の記憶

自分には年の離れた兄がいる。
自分より一足先に大人の世界を垣間見ていた兄からは、さまざまなカルチャー・ショックを受けた。
テレビ番組しかり、音楽しかり、深夜ラジオしかり。

ゲームもそうだった。
インベーダーの体験では、さほど食指を動かされなかったのに、今ではこうなってしまったのも、兄の影響と言えよう。
兄が家に遊びに来た友達と語るゲームの話。ときに効果音の口真似を交えての話に、小学生だった自分は未知の世界を感じて、すっかり虜となったのだ。


どういう経緯かはすっかり忘れてしまったが、ついには兄にそのゲームが置かれる建物に、連れて行ってもらえることになった。
生まれて初めての、ゲーム・センター来訪。
記憶では、たしかそこは元々ポケバイのサーキットだったらしい。
廃業後、事務所の小屋にゲームが置かれ、ゲーセンとして営業していたようだ。
店名なんか、最初からあるのかどうかも怪しかった。

その店に置いてあったゲームのラインナップは、今でも克明に覚えている。
『クレイジーバルーン』
『ポラリス』
『ルパン三世』
『侍』
そして……。


だが、その中で遊びたいと思ったものは、ほとんどなかった。
兄たちがよくメロディを口ずさんでいた『ルパン三世』は、どこをどう見てもルパンに見えなかった。
『ポラリス』のスピード感や、『クレイジーバルーン』の無表情な顔オブジェクトなんかは、もう恐怖の対象だ。
極めつけは『侍』で、デモ画面で「侍」の漢字が真っ二つにされて色が反転するのは、もはや脅かしにかかってるとしか思えない。あのデモにビクビクしていたことは、後々まで兄に笑いのネタにもされたくらいだ。


そんな中、唯一強烈に惹きつけられたゲームがあった。
ギャラクシアンだ。

このゲームの前には、恐怖心よりも先に、あまりに別次元の美しさに心を奪われてしまったのだ。
カラフルなキャラクター、背景で瞬く星空。
もう一目で虜になった。
兄たちが他のゲームで遊んでいる中、自分はひとり『ギャラクシアン』をずっと見つめていたのだ。


そして、これがきっかけで、人生で初めての小さな罪を犯した。
場所を覚えた自分は、いつか『ギャラクシアン』で遊んでみたいと思うようになった。
その欲求は日に日に強くなる一方で、ついには一人で足を踏み入れることを決意した。
そして、その資金確保のため、「お使いのお釣りを誤魔化す」ことを画策したのだ。

近隣のスーパーで、母に言いつけられ大根を買った帰り道。
帰路からはだいぶ外れた、質素な小屋に向かう。
中にはやはり、兄と同年代の中学生が屯していた。
何か囃すようなことを言われた気もしたのだが、自分の意識はすでに『ギャラクシアン』にすべて向けられていた。
買い物袋を床に置き、恐る恐る100円玉を筐体に入れる。

ゲームは惨敗もいいとこ。
そもそも、飛来してくるエイリアンの前に立ちはだかることが、怖くて仕方ない。
上空で待機するエイリアンばかりを狙い、飛んでくるのは徹底無視。最後の総攻撃で泣く泣く立ち向かったのだと、多分思う。
恐らく2面がいいとこだったのではなかろうか。
すべてが終わったあとは、逃げるようにその小屋を後にした。


その小屋に行ったのは、それが最後だった。

しばらくして、ポケバイサーキットの跡地だけあって広かったその土地で、宅地造成が始まったのだ。
もちろん小屋は跡形もなくなり、今では最初からそうだったかのように住宅街が広がるのみ。
だが、その地が自分にとっては紛れもない、初めて遊んだゲーセンのある場所だったのだ。


ちなみに、釣り銭を誤魔化したことは、おそらく母にはバレていたと思う。
計算が合わないことを聞かれても、「知らない」「買い物袋を振り回してたから、どこかで落ちたのかも」と白々しい言い訳に終始していたので、薄々感づいてはいただろう。
かといってそのことを深く追求されるでもなかったし、その後自分がそうした手段でゲーム代を工面することもなかった。

初めてのゲーセンは、小さな罪の苦みとともに。


  1. 2012/07/08(日) 23:59:59|
  2. 函館ゲーセン・メモリーズ
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函館ゲーセン・メモリーズ【0】きっかけ

函館のゲーセンの記憶を書き留めておこうと思った。
かつては数多のゲーセンが存在し、数多くのゲームマニアの青春を彩った地。
そして巣立ちの後も、いつまでも変わることなく自分を出迎えてくれるとばかり思っていた地…。

しかし、今ではそれらのゲーセンは、もう残っていない。

今でも目を閉じると、ありありと蘇る当時の情景。
孤独であり、絆もあり、時に熱く、時に静かに情熱を燃やした日々。
それをどこかに、残さなければならない。
自分のつたない記憶でも、きっと共感を覚える人がいるだろうし、何より自分自身が文章として残すことを望んでいる。

しかし、自分の書き留める記憶は、その店舗の長い年月の中で、ごく一断片でしかない。
誰かにとっての居心地のよい思い出の店は、別の誰かにとってはたまたま嫌な目に遭ったことで、苦い記憶の残る店かもしれない。
だから、願わくば、この記事を目にしたあなたの記憶も、どこかに書き留めておいてほしい。
そうすることで、そのお店の記憶はより鮮明になり、共感を覚える人もきっと増える。
それが幾重にも積み重なることで、やがて当時のみんなの知る、ゲーセンの確かな記憶になるはずだからだ。


1980~90年代の函館のゲーセンの思い出。
記憶のすべてを、ここに遺したい。



…と、その前に。
ゲーセンではないが、初めてゲームで遊んだ記憶も、ついでに書いてみよう。


自分が初めて遊んだコンピューター・ゲームは、スペースインベーダー(タイトー・1978年)だ。
場所は家の近所にあったラーメン屋。今では骨董品扱いのテーブル型の筐体だが、当時は喫茶店はおろかラーメン屋でも活躍していた。

とはいえ、その時ですら『スペースインベーダー』の流行はすでに過ぎ去っており、たぶんインベーダー世代としてはギリギリのところにいると思う。
そのうえ、その時は別に自分にインベーダーをやりたい、という意志はなかった。ただ、誰もいないテーブルの中で何か動いているのが珍しく、それ(デモ画面)をじっと見つめていたところ、父に「やるか?」と言われ、100円を差し出されただけの話なのだ。

子供心に見るインベーダーは、ハッキリ言って恐かった。
インベーダーは表情もなしに弾をバラまき、それに当たると画面が真っ赤になり砲台はコナゴナ。
なんかこう、得も言われぬ圧迫感みたいなものを感じ、これは自分の手に負えるものではない、と思ったものだ。


なお、このデビューには後日談がある。

全く気がついていなかったのだが、そのラーメン屋にクラスメイトの女子がおり、後日学校の「帰りの会」で、そのクラスメイトに「きのうー、GILくんがやっちゃいけないインベーダーをやってましたー」と指弾されたのだ。
だが、昨日は父親の許諾もあるし、ゲームセンターではなくラーメン屋だ。咎められる筋合いもない。
「だって、父さんがやっていいって言ったんだもーん!」すかさず反論するも、「でもダメなものはダメなんですー!」と、語尾を上げて言い返される。


結末はたしかお咎めなしだったと思うが、これが初めてのゲームの、今も忘れられない思い出なのだ。


  1. 2012/07/07(土) 23:59:59|
  2. 函館ゲーセン・メモリーズ
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