『ドルアーガの塔』研究室 管理日報

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函館ゲーセン・メモリーズ【5】函館キャロットハウス(1)

いよいよ、この店について書くときが来た。

函館ゲーマーの聖地。
それが函館キャロットハウスだ。


この店が聖地と呼ばれる理由を知るには、まず1980年代のナムコが、いかにゲーマーに神聖視されてきたかを知らねばならない。

斬新な発想に基づく、質の高いゲームの数々。
筐体から流れる、重厚なハーモニーと幻想的な楽曲。
時に愛らしく、時にカッコ良く、時に笑える魅力的なキャラクターたち。
真似してノートに何度も何度も描き写した、素晴らしいデザインのロゴ。
それらを元にしたキャラクターグッズの数々。
そして、ファンと直接コミュニケーションを図ってきた、無料配布の季刊小冊子「NG」etc.……。
そうした他に類を見ない試みの数々が、奇跡的に(あるいは必然的に)同時期に折り重なったことは、「ナムコ」というゲームメーカーを特別な存在に位置づけるに十分すぎる理由だった。

「キャロット」という店名も、またナムコらしさの一環だろう。
『スペースインベーダー』を契機に、人が集まることとなったゲームセンター。そこには、招かれざる客も来ることとなり、結果として「不良の温床」などという汚名まで被ることとなった。
そうした負の印象を払拭するため、ナムコは直営店舗に「キャロット」という名前を使い、かわいらしいニンジンのイラストとともにイメージ転換を図ったと思われる(ラジオCMでは「パステルなゲームスペース」というキャッチコピーが付けられていた)。


初めて函館キャロットハウス(以下キャロット)に来たのは、前述の小冊子「NG」を手に入れるためだった。

小学何年生の頃かは忘れたが、青函連絡船に乗って青森まで行った際、たまたま立ち寄ったデパートの玩具売り場で、たまたま置かれていた「NG」を手にしたのが、今にして思えば運命的だった。
この「NG」を、友達同士で回し読みし、やがて「イトーヨーカドー函館店の向かいにあるゲームセンターにも、これが置いてある」という情報を聞きつけることとなった。

初めて行ったキャロットは、『ポールポジションII』『スターウォーズ』が並んで置かれていた。
窓際にはパンチングマシーンの『ノックダウン』、壁ぎわにはアタリの『ガントレット』もあったと思う。
テーブル筐体には、『ギャプラス』『モトス』『バラデューク』といったナムコゲームが、さも当然といったように並んでいた。
そうした光景も、ときめきを感じさせるには十分な材料だった。

だがそれ以上に、キャロットという空間の居心地の良さに、安堵をおぼえていたのかもしれない。
道路に面した側は一面のガラス窓で、格別の開放感があった。
奥のショー・ウィンドウには、下敷きやキーホルダーなどのナムコオリジナルグッズが多数並べられていた。
カウンターには前述のNGやチラシ等のほか、いわゆるコミュニケーション・ノートも置かれていた。
マッピーのイラストが描かれたメンバーズカードを店員さんに見せると、スタンプを押してもらえた。
ところどころに置かれた観葉植物や、床の市松模様に至るまで、それらすべてに温かみの感じられる、特別な空間だったのだ。


しかしキャロットは、自宅からはかなりの距離があった。
もちろん、平日の放課後に行くことなどほぼ不可能なので、通い詰めることなど叶わない。行くことができたのは週末、それも当時土曜日は「半ドン」であったため、おもに日曜日ぐらいだった。
その分、行くと決めたら朝一番に乗り込むこともあった。
10時30分のオープン前、ニンジンのイラストが描かれたシャッターの前で待ち、開店と同時に店内に突入。『グラディウス』が起動時に流す「バブルシステム・モーニング・ミュージック」を聴くことが、マニアならではの密かな愉しみだった。

それからほんの数年のうちに、数々の思い出が、キャロットで生まれていった。

新製品沙羅曼蛇の専用筐体(コンパネ部分にステレオスピーカー付き)が入荷され、その画面の美しさと音の広がりに感動を覚えたこと。
カウンターに置かれていたイシターの復活の最短ルート冊子「ザ・リターン・オブ・イシター号外」に、驚嘆しつつ釘付けとなったこと。
3DサンダーセプターIIのスコープ越しの3D表現に、度肝を抜かされたこと。
少ない小遣いをやり繰りして、初めてのナムコグッズマッピー下敷きを購入したこと。
パックマンのイラストコンテスト」や「クエスターの面アイディアコンテスト」に、絵心もないのに自信満々で応募したこと。
ナムコが提供していたラジオ番組斉藤洋美のラジオはアメリカンのイベントが、棒二森屋の屋上で行われ、その時に撮影された写真がキャロットに展示されていた(希望者は購入もできた)こと。
受験を控え、塾に通うようになってからも、たびたびサボタージュの果てにキャロットに立ち寄っていたこと。
降りしきる雪をかき分けてドアをくぐり、暖かい店内で見るギャラガ'88の星空が美しかったこと……。


雑誌Beepを毎月購読し、急速にテレビゲームにのめり込んでいった10代前半。
後先考えずに買った新明解ナム語辞典を読みふけり、日曜深夜にラジアメを聞いていたナムコ漬けの日々。
その中において、函館キャロットハウスは間違いなく、重要な位置を占めていたのだ。

≪(2)につづく≫


ザ・リターン・オブ・イシター号外
▲当時キャロットにて無料配布されていた「ザ・リターン・オブ・イシター号外」。“イシター復活推進委員会”なる組織の作だが、おそらくナムコ自身が作成・配布したのでは……?


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  1. 2013/01/30(水) 23:59:59|
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