『ドルアーガの塔』研究室 管理日報

『ドルアーガの塔』研究室管理人・GILによる、更新履歴だったりつぶやきだったりてきとーに。

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函館ゲーセン・メモリーズ【9】函館キャロットハウス(2)

今でこそ、学生も社会人も「週休二日制」が当たり前となってきている。
自分が子どもの頃は、週休二日制ではなく、土曜日にも当たり前のように授業があった。ただし午前中で授業が終わる、いわゆる「半ドン」であった。

最近のアンケートで、昔の子供たちが土曜日も学校があったことに対し、今の子供たちは「かわいそう」と思っているらしい、との結果が出ていた。
だがしかし、それは違う。
午前中で授業を終え、昼休みすらなく学校が終わった時の解放感には、格別のものがあった。
お昼ごはんまで含めて、午後は何をやってもいいという自由。これは丸一日休みのときには味わえない、胸が高鳴るような楽しさがあった。
函館でも冬を除けば自転車通学だったので、友人と連れだって自転車にまたがり、広い青空の下、公園を縦断する気持ちよさは今でも覚えている。


この頃、土曜日の放課後になると、だいたい美原地区に足を運んでいた。
以前も触れたがイトーヨーカドー長崎屋、そして函館キャロットハウスがあるこの一帯は、ゲーム好きの欲求を満たすのに十分すぎるほど充実した環境だった。
イトーヨーカドー地下のフードコート「ポッポ」で昼食を食べ、長崎屋の中古ゲームソフト店「チェリースタンプ」でゲームを物色し、その隣の「ミュージックショップ国原」でCDを探すのが定番コース。余裕があれば、函館名物のパーラーフタバヤのソフトクリームも食べた。
そして、準備を終えたらキャロットへ向かい、そこで心ゆくまでゲームを遊ぶのだ。

当時のキャロットは、まだテーブル筐体がフロアのほとんどを占めていた。
ただ、以前と違って壁ぎわにはモニタが垂直に立てられた、2in1筐体が並べられていた。ここには『ローリングサンダー』『スカイキッド』『源平討魔伝』『ワンダーモモ』などの、やや古いナムコゲームが中心に稼働していた。
テーブル筐体では、『メルヘンメイズ』『爆突機銃艇』『オーダイン』『プロテニス・ワールドコート』『フェイスオフ』『未来忍者』『フェリオス』『ロンパーズ』『ブラストオフ』『ワルキューレの伝説』『ファイネストアワー』『バーニングフォース』『デンジャラスシード』『マーベルランド』『球界道中記』『ピストル大名の冒険』『倉庫番DX』『ドラゴンセイバー』……当時を彩るナムコゲームは、本当に挙げていけばキリがない。
他社ゲームでは、『グラディウスII』(筐体を改造してテーブル筐体の上にステレオスピーカーが置かれていた)『コンバットスクール』『A-JAX』『シティーボンバー』『R-TYPE』『ルナーク』『大魔界村』『天地を喰らう』『ストライダー飛竜』『ドカベン(カプコンの野球カードゲーム)』等々。そういえば、なぜかTADの『カベール』が人気で、わりと長期間稼働していたことを覚えている。その続編の『ブラッドブラザーズ』も置かれていた。
大型筐体は『ウイニングラン』『ダートフォックス』『ウィニングラン鈴鹿GP』『フォートラックス』『ファイナルラップ2』などがあったはず。一瞬だけ『スーパースプリント』が入っていたことも覚えている。以前からあった『ポールポジション』は、気がつけば『3DサンダーセプターII』に生まれ変わっていた。

ここではひとつ笑い話がある。
壁ぎわの2in1筐体に、『リブルラブル』が入れられていたのだが、これがどうやら予想以上のインカムを得たらしい。
たしかに、自分含めけっこうな人が『リブルラブル』をプレイしていた。自分はちょうど当時、苦心して伝説の本「ALL ABOUT NAMCO」を入手し、そこに書かれていた攻略法を試すことができたのだ。
やがて、ここまでインカムがあるなら、となったのだろう。『リブルラブル』は入口のすぐ近くのテーブル筐体に“昇格”したのだ。
ところが、この時ツインレバーに使用したのが、なんと『アサルト』の純正コンパネ。
『アサルト』のツインレバーは、4方向にしか動かせない。これが『リブルラブル』において、いかに致命的なミスマッチであるかは、論を待たないだろう。
しばらくして、結局『リブルラブル』は消えてしまった。自分含め、誰かが店舗に進言していれば、まだ運命は変わっていたかもしれない……。


他にも函館キャロットハウスでは、数え切れないほどの思い出が生まれた。
だがこの頃、ほろ苦い経験もしている。

当時よくここに連れ立って来ていたのは、前にも書いた友人のKだ。
よく二人で遊んだりしていたものだが、函館キャロットハウスには「コミュニケーションノート」が置かれていて、そこにも二人でよく書き込んでいた。
今もゲームセンターによっては、このコミュニケーションノートの文化が残っているところもある。しかし、インターネットで手軽に交流が可能な今とは違い、当時はノートしか手段がなかった。
ノートに自分の思いの丈を書き、しばらくしてまた見ると、自分に対するメッセージが書かれている。当時は、たとえ時間がかかろうとも(むしろ時間がかかるからこそ?)、自分のメッセージがちゃんと読まれ、そこにリアクションがあることが、たまらなく嬉しかったのだ。

そしてこのノートを通じて、函館キャロットハウスを根城にする、ゲームサークルが存在することを知った。
自分の書き込みに返事をしてくれる人が、そのサークルの人のようであった。
もう名前も忘れてしまったが、7~8人くらいのサークルらしかった。うち一人は、当時のゲーム雑誌によくイラストを投稿していた、少し名の知れた方のようだった。
伝聞や仮定で書いているのは、じつはこのサークルの方々とは面識がないからだ。唯一、同サークルが発行した同人誌を購入した時に、サークルの一人と接触したぐらいか。
恐らく、遊んでいる時間帯が異なるのだろう。当時キャロットに行くのはだいたい土・日であったし、しかも生真面目に17時には家路に就いていた。仮に平日や、週末でも夜に活動していたのであれば、遭遇する機会は無きに等しい。


毎週土曜日、友人Kとキャロットのコミュニケーションノートに書く日々が続いたある日。
ノートの文面から、件のサークルが不穏な状態になっていることを知った。理由はもう覚えていないが、メンバー同士で対立しているようだった。
何もノートを使ってケンカしなくても……と思いつつも、前述の通りとくに面識があるわけでもなし、対岸の火事の体でノート越しにその状況を眺めていた。

しかし、ある日そこに思いも寄らぬ文章が書かれていたのが目に入る。
「GILくん、Kくんはウチ側についてもらいたい」

書き込んだのは、ノートで揉めていた人の一人だった。
たしかに、当時ノートを介してのみではあるが、そのサークルのメンバーとは交流があった。
しかし、こちらからサークルに入りたいなどと申し出たことは、一度もない。
そういった状況で、なぜ一面識もない人が、サークルの分裂騒動に我々を巻き込むのだろうか?
正直なところ、戸惑いしかなかった。これで、ゲーム雑誌で盛んに言われていた「ゲーセンで友達を作る」という夢から、醒めてしまったのだ。

以後、そのコミュニケーションノートを開くことは、なかったと思う。


そんなことがありつつも、キャロット通いは続けていた。
そもそもサークルの人々と来訪する時間帯が被らなかったのは、逆に幸いと言えるだろう。
翌春にクラス替えを迎え、Kともさほど頻繁につるまなくなっても、自分一人で週末はキャロットに行き続けていた。

そうして、高校生活の3年間が過ぎていった。


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  1. 2013/05/19(日) 19:00:00|
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