『ドルアーガの塔』研究室 管理日報

『ドルアーガの塔』研究室管理人・GILによる、更新履歴だったりつぶやきだったりてきとーに。

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函館ゲーセン・メモリーズ【7】ソアラ

前回取り上げたハイテクランドセガ五稜郭店は、他にも近くにゲームセンターがあり、当時の学生たちの格好の遊び場と化していた。

そのひとつが、ハイテクセガ五稜郭店から歩いて数分のところにある、ソアラというゲームセンター。
「粂センター」という、飲食店(平たく言えばスナック)が押し込まれた雑居ビル(といっても2階建て)の一画に入居していた。


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大きな通りから一本入った道路沿いに、正面入口があった(建物中央の板が打ち付けられてるっぽいところ)。
だが、いつも寄る時はもう一箇所の入口、スナックの看板などを横目に暗く狭い通路の奥にある裏口から、いつも出入りしていた。


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この地図の、中央の青いシャッターの奥にその通路がある。こちらの方が、大きな通りに面しているのだ。
そういえば、ソアラに寄る時、自転車はどこに停めていただろうか……? もしかしたら、セガに停めっぱなしにしていたかもしれないが、記憶が定かではない。


ここはタイトー系列の店舗だったのか、筐体もほとんどがタイトー製。
前述のセガのシティ筐体ほどではないにしろ、モニタにやや傾斜の付いた真っ白な筐体で、ものによってはヘッドホン端子とボリュームが付いていた。
折しも一人プレイ専用もしくは二人同時プレイタイトルが多くなり、かつてのテーブル筐体によくある二人交代プレイのゲームは少数派になりつつあった。筐体も、ちょうど過渡期にあったのだろう。
とくにヘッドホン端子は、セガでも行っていた生録に活用させていただいていた。

設置されたゲームも、当然ながらゲームもタイトー製品が多かった。
大型筐体でいえば、『ダライアス』『ナイトストライカー』『フルスロットル』『オペレーションウルフ』など。汎用筐体では、『究極タイガー』『バブルボブル』『バトルシャーク』『ファイティングホーク』『フリップル』『バイオレンスファイト』『TATSUJIN』といった作品が記憶にある。
あとはセガの『M.V.P.』もあったりした。

この店で印象に残っているのが、タイトー版テトリス
当時、セガが発売したアーケード版テトリスが大ヒットを記録しており、どこのゲームセンターに行っても『テトリス』が置かれていた。
しかし、タイトー系列のゲームセンターにある『テトリス』は、他とは微妙な違いがあった。
一番わかりやすいのは、だろう。セガ版『テトリス』と比べ、独特の音色をしていた。
あとは「レベルアップ時に背景が変化する時にややタイムラグがある」点もわかりやすい。
一説によると、あまりに『テトリス』人気が過熱して基板生産が追いつかず、タイトーにライセンスを許諾して制作を依頼していたという。恐らく、当時のタイトー系店舗では、ほとんどの『テトリス』がタイトー版だったと思われる。

また、同じく印象深いのが、麻雀ゲームのラインナップだ。
前回のハイテクセガ五稜郭店では、麻雀ゲームと言えば当時の大ヒット作『スーパーリアル麻雀PIII』の他は、日本物産やユウガのタイトルが中心となっていた。
一方、ソアラは同じ『スーパーリアル麻雀』でも『PII』のほうが置かれており、さらにビデオシステムのタイトルが中心に設置されていた。『麻雀放送局』のダイナミックな演出や、大きめの牌表示などには、ニチブツ系とはまた異なる衝撃を受けたものだ。


そして、この店で一番遊んだゲームが、何を隠そうストリートファイターだ。
もちろん、巨大なふたつのボタンが特徴的なアップライト版である。

このゲームには、また別の思い出がある。
高校生になって、修学旅行で奈良と東京に行った時のこと。

修学旅行といえば、自由行動がつきもの。
普通の高校生であれば、観光名所や遊園地に行くのが常だが、当時つるんでいたゲーム仲間たちとは、当然の如くその土地のゲーセンを訪れてまわった。もっとも、最近の高校生なら自由行動で秋葉原とかを巡りそうなものでもあるが……。
奈良はもう名前も忘れてしまったが、雑誌「ゲーメスト」を頼りに店を探し、やっとのことで訪れた店は店内も薄暗く、あまり地元と変わらないラインナップにやや拍子抜けしたものだった。

東京では神保町に行き、古本屋でマンガなどを買いあさったほか、つい先日閉店したゲームコーナー「ミッキー」にも訪問した記憶がある。ゲームのラインナップはもう覚えていないが、看板通りすべてのゲームが50円だったことに驚いたものだ。秋葉原にも行った記憶も、微かながら残っている。

だが、何より印象に残った店舗は、プレイシティキャロット巣鴨店だった。
ここは他の店とも違う、独特のオーラに満ちあふれていた。それはプレイヤーの放つ熱気でもあり、お店の雰囲気でもあり、まさに聖地の呼び声に恥じないお店だった。
そして、その巣鴨キャロットの一画にあったのが、当時としても微妙に時代遅れの作品である『ストリートファイター』だった。
他のタイトルはともかく、この当時すでに設置店が少ないと思われる『ストリートファイター』に、思わぬ地元との共通点を見出せたことが、うれしかったのだ。

波動拳や竜巻旋風脚は出せるものの、昇龍拳はまぐれで一度しか出せなかった。
それでも、調子のいい時はタイステージまで到達でき、調子が悪ければアメリカのジョーに為す術もなく敗北。対戦は一度も遊んだことがなかったが、それでも楽しかった。
修学旅行後は、このゲームで東京との絆というか縁を感じながら、このゲームを一日の締めくくりにすることが多かった。


そんなわけで、自分にとって「ソアラ」と言えば『ストリートファイター』なのだ。


  1. 2013/05/08(水) 23:59:59|
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函館ゲーセン・メモリーズ【6】ハイテクランドセガ五稜郭店

五稜郭」と言えば、函館でも有名な観光スポットである。
そして、地元民にとっては史跡や公園から少し離れた交差点と、その近辺を含めて、“函館第二の繁華街”とも呼ぶべき場所なのだ。

函館の繁華街は、大きく分けて「駅前」「五稜郭」「美原」の3地区になると思われる。
老舗デパートの棒二森屋を中心に、アーケードに専門店が並ぶ函館駅前地区。
以前も触れたイトーヨーカドー長崎屋により賑わいを見せる美原地区。
そして、同じ老舗デパートの丸井今井を核として、若者向けの店が並ぶのが五稜郭地区だ。
五稜郭は近くに高校がひしめいていたこともあり、学校帰りの高校生が立ち寄るレコード屋や洋服屋、本屋やファーストフードなどが軒を連ねていた。


五稜郭公園のすぐ近くにあったのが、ハイテクランドセガ五稜郭店だ。

この店と最初に遭遇したのは、小学生だったか中学生だったか。
五稜郭公園のそばにある美術館に連れて行かれ、その帰り道に店舗の大きなガラス越しに、アフターバーナーのダブルクレイドル筐体を発見したのだ。
当時、『アフターバーナー』といえばシングルクレイドル筐体でしか遊んだことが無く、雑誌でしか見たことのない巨大なコックピットを見て、興奮したことを覚えている。
そうか、あんなところにあったのか…。


その後、首尾良く志望校に合格し、高校生活が始まると、同店にはほぼ毎日のように通い詰めた。
当時の店内は、下図のようなレイアウトだったと思う。

ハイテクセガ五稜郭店店内図

店の自動ドアをくぐると、階段を数段下がって広いスペースの中央に、円筒形のUFOキャッチャー『ドリームキャッチャー』が置かれている。
右手の壁には、大型筐体がズラリと並んでいた。一番入口近くにあったのが、前述の『アフターバーナーII』。ほかには『サンダーブレード』があったのを覚えている。
入ってすぐ左には店員のいるカウンターがあり、そのそばにはさほど大きくない大型筐体ゲーム、初めて見た時は『ヘビーウェイトチャンプ』が置いてあった。その奥の荷物置き場にカバンを放り、自販機でジュースを買ってゲームに勤しむのがお決まりのパターンだった。

店内のテーブル筐体は、当時のセガの汎用的な銀色の筐体だった。スピーカーが1プレイヤー側にあり、黄色いスタートボタンが特徴的である。
それとは別に、壁ぎわにはモニタが斜めに据え付けられたシティ筐体が並んでいた。当時はまだゲームの方がテーブル筐体向けの内容が中心であったため、この筐体には『タイムスキャナー』のような特殊なコンパネのゲームの他は、おもに麻雀ゲームで埋められていた。

荷物置き場や自動販売機の並びには、セガの最新型のテーブル筐体エアロテーブル筐体が2台設置されていた。
従来のテーブル筐体よりも大型のモニタ、コンパネ横に用意されたヘッドホン端子、モニタの横に大きく迫り出したスピーカーの上には、インストラクションカードを背中合わせにして差しこむ、回転式のボードが用意されていた。
入っていたゲームは、たしか『スクランブルスピリッツ』『ソニックブーム』だったか。

余談だが、このエアロテーブル筐体と、斜めモニタのシティ筐体が合わさったのが、後に世を席巻するエアロシティ筐体
「アストロシティ」「ブラストシティ」といった“汎用筐体”を生み出す、アーケードゲーム筐体史を語る上で欠かす事のできない存在と言える筐体だ。


閑話休題。
このお店には、本当にたくさんの思い出がある。

ここで一番お金を注ぎ込んだゲームは、データイーストの『スタジアムヒーロー』だろう。
当時『プロ野球ワールドスタジアム』も入荷されていたのだが、『スタジアムヒーロー』を選んだ理由はひとつ。「ファイナルセットゲーム」の存在だ。
当時の野球ゲームは、たいてい1クレジット(対戦なら2クレジット)で3回裏までしか遊べず、試合終了まで遊ぼうとすると最低6クレジットかかる。しかし、「ファイナルセットゲーム」は最初から4クレジット投入すれば、試合終了まで遊ぶことが可能。金欠の高校生にとっては、何よりありがたいシステムであった。
仲間内で遊びまくったせいか、少なくとも一年以上は同店で稼働していたと思う。

他には、セガの『エキサイトリーグ』も、単純にトラックボールを使って投球するのが楽しくてしつこくやり込んでいた記憶がある。
セガ系では『ギャラクシーフォース』『テトリス』『忍』『ゴールデンアックス』『スーパーモナコGP』『エースアタッカー』『クラックダウン』『ゲイングランド』『獣王記』『ターボアウトラン』『タフターフ』『DJボーイ』『フラッシュポイント』『レッスルウォー』等々も、このお店で初めて触れたものだった。
一方、なぜかデータイーストの作品もコンスタントに入荷されており、『バーディーラッシュ』『ヘビーバレル』『ロボコップ』『ファイティングファンタジー』『アクトフェンサー』『コブラコマンド』などの姿を覚えている。
さらに、当時大ヒットしていたコナミ『グラディウスII』や、ジャレコの『P・47』『実力!! プロ野球』、SNKの『バトルフィールド』などもあった。
麻雀ゲームは『スーパーリアル麻雀PIII』『麻雀刺客』『七対子』などが記憶にある。そして、一部で異形の作品として有名な危機一髪真由美ちゃんも、記憶のどこかに……?


また、思い出深い出来事も幾つかあった。
いくつかの出来事は、当時ゲーム雑誌への投稿ネタとしても使ったりした。

例えば、当時発売されて間もないメガドライブが、ドリームキャッチャーで人形を獲得すると引けるクジで当たるキャンペーンがあり、カウンターの奥に置かれた残り一台のメガドライブを手に入れるべく頑張ったものの、店員との会話でじつはすでに当てた人が取り置いてるだけで、完全に徒労だったことが発覚したこともあった。
(ちなみに、当時ゲーマーはゲーセンの店員と仲良くなるべし、というゲーム雑誌の刷り込みもあって、よく店員のおじさんたちに話しかけてもいた。)
また、メンテナンスの人が『スーパーモナコGP』の圧縮空気を抜いてしまい、営業中の店内にものすごく大きな音が響きわたった珍事もあった。


そしてこの時期、自分にとって一番大きかったのは、高校でクラスメイトとなった“K”の存在だろう。
山本正之と小森まなみを愛し、自作のDJ風テープを録音するなど多趣味な男だった。当時「斉藤洋美のラジオはアメリカン」を愛聴していた自分とは、たびたび(おふざけで)対立したりもしていた。
さらに、当時ゲームミュージックが趣味となっていた自分にとって、Kは数少ない理解者となってくれたのだ。

Kの協力を得て行ったのが、ゲームミュージックの「生録」だ。
これまでも、小型マイクを筐体のスピーカーに押し当てて、一人でゲームミュージックを録音したことはある。
それがKというパートナーを得たことで、ヘッドホン端子を使うなど録音の精度が向上。さらに録音した音源を、Kがノイズの低減などのミックスを行い、これまでのマイクを通じた雑音まみれの音とは段違いのクオリティに仕上げてくれたのだ。
これで最初に録音したのが、前述の『エキサイトリーグ』。筐体のスピーカーから聞こえる音よりも、当然ながら音がハッキリと聞こえ、今まで耳にしていたものより数段上の重厚なサウンドに、ラジカセの前で興奮したものだった。
Kとのコンビでは、他にも『琉球』などをこの店で生録した。

さらに、この店で自分の中学時代のクラスメイトだったTとばったり再会、声をかけようとしたところ、じつはKとTが小学校時代のクラスメイト同士で、思わぬ関係性に全員が驚いたこともあった。


他にもたくさんの思い出が、この店とともにあった。
そして、この他にも周辺にはゲームセンターが軒を連ね、それぞれの店でまた違った思い出が刻み込まれていくこととなる。
そうした複数の店舗の集合体が、そのまま当時の高校生活の思い出を彩る遊び場として、今も記憶の奥に息づいているのだ。


  1. 2013/03/16(土) 23:59:59|
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函館ゲーセン・メモリーズ【5】函館キャロットハウス(1)

いよいよ、この店について書くときが来た。

函館ゲーマーの聖地。
それが函館キャロットハウスだ。


この店が聖地と呼ばれる理由を知るには、まず1980年代のナムコが、いかにゲーマーに神聖視されてきたかを知らねばならない。

斬新な発想に基づく、質の高いゲームの数々。
筐体から流れる、重厚なハーモニーと幻想的な楽曲。
時に愛らしく、時にカッコ良く、時に笑える魅力的なキャラクターたち。
真似してノートに何度も何度も描き写した、素晴らしいデザインのロゴ。
それらを元にしたキャラクターグッズの数々。
そして、ファンと直接コミュニケーションを図ってきた、無料配布の季刊小冊子「NG」etc.……。
そうした他に類を見ない試みの数々が、奇跡的に(あるいは必然的に)同時期に折り重なったことは、「ナムコ」というゲームメーカーを特別な存在に位置づけるに十分すぎる理由だった。

「キャロット」という店名も、またナムコらしさの一環だろう。
『スペースインベーダー』を契機に、人が集まることとなったゲームセンター。そこには、招かれざる客も来ることとなり、結果として「不良の温床」などという汚名まで被ることとなった。
そうした負の印象を払拭するため、ナムコは直営店舗に「キャロット」という名前を使い、かわいらしいニンジンのイラストとともにイメージ転換を図ったと思われる(ラジオCMでは「パステルなゲームスペース」というキャッチコピーが付けられていた)。


初めて函館キャロットハウス(以下キャロット)に来たのは、前述の小冊子「NG」を手に入れるためだった。

小学何年生の頃かは忘れたが、青函連絡船に乗って青森まで行った際、たまたま立ち寄ったデパートの玩具売り場で、たまたま置かれていた「NG」を手にしたのが、今にして思えば運命的だった。
この「NG」を、友達同士で回し読みし、やがて「イトーヨーカドー函館店の向かいにあるゲームセンターにも、これが置いてある」という情報を聞きつけることとなった。

初めて行ったキャロットは、『ポールポジションII』『スターウォーズ』が並んで置かれていた。
窓際にはパンチングマシーンの『ノックダウン』、壁ぎわにはアタリの『ガントレット』もあったと思う。
テーブル筐体には、『ギャプラス』『モトス』『バラデューク』といったナムコゲームが、さも当然といったように並んでいた。
そうした光景も、ときめきを感じさせるには十分な材料だった。

だがそれ以上に、キャロットという空間の居心地の良さに、安堵をおぼえていたのかもしれない。
道路に面した側は一面のガラス窓で、格別の開放感があった。
奥のショー・ウィンドウには、下敷きやキーホルダーなどのナムコオリジナルグッズが多数並べられていた。
カウンターには前述のNGやチラシ等のほか、いわゆるコミュニケーション・ノートも置かれていた。
マッピーのイラストが描かれたメンバーズカードを店員さんに見せると、スタンプを押してもらえた。
ところどころに置かれた観葉植物や、床の市松模様に至るまで、それらすべてに温かみの感じられる、特別な空間だったのだ。


しかしキャロットは、自宅からはかなりの距離があった。
もちろん、平日の放課後に行くことなどほぼ不可能なので、通い詰めることなど叶わない。行くことができたのは週末、それも当時土曜日は「半ドン」であったため、おもに日曜日ぐらいだった。
その分、行くと決めたら朝一番に乗り込むこともあった。
10時30分のオープン前、ニンジンのイラストが描かれたシャッターの前で待ち、開店と同時に店内に突入。『グラディウス』が起動時に流す「バブルシステム・モーニング・ミュージック」を聴くことが、マニアならではの密かな愉しみだった。

それからほんの数年のうちに、数々の思い出が、キャロットで生まれていった。

新製品沙羅曼蛇の専用筐体(コンパネ部分にステレオスピーカー付き)が入荷され、その画面の美しさと音の広がりに感動を覚えたこと。
カウンターに置かれていたイシターの復活の最短ルート冊子「ザ・リターン・オブ・イシター号外」に、驚嘆しつつ釘付けとなったこと。
3DサンダーセプターIIのスコープ越しの3D表現に、度肝を抜かされたこと。
少ない小遣いをやり繰りして、初めてのナムコグッズマッピー下敷きを購入したこと。
パックマンのイラストコンテスト」や「クエスターの面アイディアコンテスト」に、絵心もないのに自信満々で応募したこと。
ナムコが提供していたラジオ番組斉藤洋美のラジオはアメリカンのイベントが、棒二森屋の屋上で行われ、その時に撮影された写真がキャロットに展示されていた(希望者は購入もできた)こと。
受験を控え、塾に通うようになってからも、たびたびサボタージュの果てにキャロットに立ち寄っていたこと。
降りしきる雪をかき分けてドアをくぐり、暖かい店内で見るギャラガ'88の星空が美しかったこと……。


雑誌Beepを毎月購読し、急速にテレビゲームにのめり込んでいった10代前半。
後先考えずに買った新明解ナム語辞典を読みふけり、日曜深夜にラジアメを聞いていたナムコ漬けの日々。
その中において、函館キャロットハウスは間違いなく、重要な位置を占めていたのだ。

≪(2)につづく≫


ザ・リターン・オブ・イシター号外
▲当時キャロットにて無料配布されていた「ザ・リターン・オブ・イシター号外」。“イシター復活推進委員会”なる組織の作だが、おそらくナムコ自身が作成・配布したのでは……?


  1. 2013/01/30(水) 23:59:59|
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函館ゲーセン・メモリーズ【4】ダイエー湯川店のゲームコーナー

湯の川といえば、函館市外の方にとっては温泉地として知られているかもしれない。
だが、地元民にとって湯の川とは、ごく普通の町という印象がある。
実際、地元民はそんなに頻繁に温泉に入るわけでもなし。函館市電(路面電車)の終点と、函大付属有斗高校(野球部が強いことで知られる)があるという、ありふれた町のひとつでしかない。

ここに、ダイエー湯川店というスーパーがある。
地上2階建て、元は「ホリタ」という系列の店舗で、1967年からある店舗だという(調べたらWikipediaに項目があって驚いた)。
中も生鮮食品や書店、文房具屋などが並ぶ、これまたごくありふれた地域住民御用達のスーパーだ。

しかし、ここにあるゲームコーナーのラインナップのマニアックさは、幼少時に強烈な記憶を刻みつけてくれた。
そのマニアックさを書いてみたい。


元々は、地方スーパーによくある、非常にこぢんまりとしたゲームコーナーだった。
最初に見たときは、2階の昇りエスカレーター付近の小さなスペース。
テーブル筐体が数台と、休憩用のベンチに灰皿。買い物中の母親が子どもを遊ばせ、買い物中の妻を待つ夫がヒマをつぶすような場所だ。

この時に見た記憶のあるゲームは、アルファ電子の『将棋』『ジャンピューター』など、やはりありふれたラインナップ。
しかし、その中に当時まだ名の知られていないカプコンの、アーケード第1作『バルガス』があるなど、今にして思えば当時からマニアックな気質の片鱗を感じさせていた。
(『バルガス』を見たと言うことは、1984年時点での話である。)


その後、1985年頃に、このゲームコーナーはグッと増床される。
エスカレーターを昇って左の斜め前に、テーブル筐体が20台以上並ぶほどに拡充された。
通路を挟んで反対側(エスカレーターで昇った正面)には、子供向けの遊具(いわゆる木馬)が並び、ちょっとした遊園地状態に発展したのだ。

そのゲームのラインナップだが、これが新旧取り混ぜてカオスなものとなっている。
古いところでは、『バイオアタック』『アルペンスキー』『ポートマン』『ジャングルキング』『エレベーターアクション』『ワイルドウェスタン』『タイムトンネル』『ロッククライマー』……といった、当時(1985年頃)から見ると時代遅れのゲームが並んでいた。……記憶の糸を辿るとタイトー作品ばかりであることから、そういう方面からまとめて入荷したのだろうか。
他にはSNKの『ラッソ』なんかも記憶に残っている。

さらには、『ギャラクシアン』『パックマン』『タンクバタリアン』純正アップライト筐体も並んで置かれてた。
今考えると、非常に貴重な光景が見られたことになる(しかし当時は、やはり大音響で爆音を鳴らす『タンクバタリアン』が怖くて、ほとんど近づけなかった)。

一方で、新作・人気作もまた積極的に入荷されていた。
『ソンソン』『空手道』『イー・アル・カンフー』『ドラゴンバスター』『ディグダグII』『エグゼドエグゼス』『バラデューク』『テディボーイブルース』『戦場の狼』『ごんべぇのあいむそ~り~』『青春スキャンダル』『イシターの復活』『源平討魔伝』『アレックスキッド ザ・ロストスターズ』『ダブルドラゴン』etc.……。
80年代中盤を代表するゲームは、軒並み置かれていた記憶がある。
変わったところでは、大型筐体の『スーパースピードレースJr.』『バギーチャレンジ』なんかも設置されていた。

そして、1986年には、あのアウトランまで入荷されたのだ(もちろん稼働筐体で)。
『アウトラン』は当時の友達同士で話題となり、とくにそのBGMはゲーム・ミュージックに目覚めていた者にとって、驚嘆すべきクオリティであった。
さっそく同店にラジカセを持ち込み、生録に挑む者まで現れ、そのカセットテープは仲間内でまわし聴きされていった。
折りしも同年は雑誌「Beep」にて、『スペースハリアー』や『カルテット』などのBGMが収録されたソノシートが付属。それは世のゲーム小僧たちに大きな衝撃を与え、後のゲーム・ミュージックの隆盛につながる確かな礎となったのだ。


閑話休題。

そんな一介のスーパーのゲームコーナーとは思えないこだわりを見せていたダイエー湯川店ではあったが、隆盛は長くは続かなかった。
80年代の終わりには、2階の広々としたスペースを追われてしまう。
移転先は2階からさらに上。屋上駐車場と店内を結ぶ階段のある、ほんのわずかなスペースに追いやられた。冬ともなると、屋上駐車場に人が出入りするたびに、ドアから冷気が流れ込んでくるような悪条件で、明らかにゲームには向かない場所である。
それでも、末期には大型筐体ゲームの『エンフォース』が置かれていたこともある。このチョイスもまたマニアックなものだったが、それもやがて電源が切られたまま放置されるようになり、ゆるやかにその役目を終えていったのだ。


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1980年代の中盤という、アーケードゲームの技術が飛躍的に向上し、大きく発展していった黄金期。
そのわずか数年間を、独自のチョイスで鮮やかに切り取っていき、瞬く間に燃え尽きていった。
ダイエー湯川店のゲームコーナーは、そんな遊び場だった。


  1. 2013/01/21(月) 23:59:59|
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函館ゲーセン・メモリーズ【3】イトーヨーカドーのゲームコーナー

函館にイトーヨーカドーと長崎屋が出来たのは、80年代の前半頃だったと思う。

そのときの函館市民の歓迎っぷりは、すさまじかった。

なにせ、コンビニなんてものもない時代。買い物といえば、生鮮食品を売るスーパーか、高級なイメージのあるデパートぐらいしか選択肢がなかった。
そこに、広々とした店内に家電も洋服も生鮮食品もあって、本もおもちゃもレコードもあれば、ちょっとした食事もできる「ショッピングモール」的な店舗の出現は、一種のカルチャー・ショックと言えた。
当時は連日、「オープンまであと○日お待ちください」というカウントダウンCMが流されていたあたり、市民の期待がうかがえよう。

イトーヨーカドーと長崎屋は、ほぼ隣り合って建てられており、どちらも同じように市民に愛されていた(余談だがイトーヨーカドーは、元は「ショッピングセンターいちい」という店舗のあった場所に建てられ、ビル名も「イチイビル」という)。

だが、アーケードゲームに限って言えば、イトーヨーカドーの方が充実していた。
長崎屋にもゲームコーナーはあったが、正直あまり印象に残っていない(80年代に『ハイパーオリンピック』で鉄定規を使っている人を見たことと、90年代にセガの『レーシングヒーロー』が置かれていたぐらいしか記憶がない)。
そして長崎屋は、現在MEGAドン・キホーテ函館店へと変わってしまった。

今回は、イトーヨーカドー函館店(以下「ヨーカドー」)のゲームコーナーについて書いてみる。
ヨーカドーのゲームコーナーは、地下1階から2階まで、時期によりさまざまに流浪してきたのだ。



地下1階の時代(1980年代)

一番冷遇されていた時期にして、一番古い記憶では、なんと言っても地下1階の階段の下、普通だったら物置にしか使われないようなスペースに置かれていた時期だろう。
記憶の糸をたどりつつ、先日その跡地を写真におさめてきたのが、コレ。


イトーヨーカドー函館店の階段下

この右側の除雪用具のある奥の部分。
当時は仕切り的なものも何もなく、ただ階段下のスペースにテーブル筐体が何台か置かれていたのだ。


イトーヨーカドー函館店の階段を斜め上方から

斜め上方から見たところ。
右側の踊り場部分の下に、ゲームが並べられていた。

階段の真下なので天井も低く、頭をぶつけないようにかがみながら、数台のテーブル筐体に向かい合う人々。端から見てると、まるで苦行のような状況だったが、それでも当人達は楽しんでいた。
ここには『ルート16』があったことを覚えているが、他のゲームに関してはまったく記憶がない。


次に、同じ地下1階の、今度は店の一画にちゃんとしたスペースが設けられ、そこに移動した。
ゼビウスの銀色ポスター(「ゼビウス感覚…」というキャッチコピーが書かれていた)が飾られ、オレンジ色の小さなアップライト筐体に『ニューラリーX』『アタック・オブ・ザ・UFO』『バーニンラバー』『クレイジーコング』といったタイトルが置かれていたのは覚えている。

しかし、ここで一番よく遊んだのは、子供向けのメダルゲーム機動戦士ガンダムだろう。
ルーレットを回して、\ガンダムー/ とぅるっとぅるっとぅるっ、とか遊ぶアレだ。
子供にとっては、それぐらいが怖がらずに、飽きずに遊べたのだろう。当時のビデオゲームは、やはり子供にとっては異世界のものであった。

この場所での営業は長く続いたようで、その後『アフターバーナーII』のシングルクレイドル筐体が置かれ、子供がお金も入れず無邪気に操縦桿をガチャガチャやっていたのを、注意してどかして遊んでいた記憶も、おぼろげながらある。


1階の時代(1990年代)

その後、90年代前半ごろになって突如、1階の大通りに面したガラス張りのスペースに進出した。
というのも、一介のゲームコーナーではなくなり、セガの系列テナントセガワールド函館が入居したのだ。

当然ながら、ここではセガのゲームが充実した。
『パワードリフト』『ダークエッジ』、アーケード版の『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』などが置かれていた記憶がある。
『ラッドモビール』『バーチャレーシング』『アウトランナーズ』なんかは、この店で初めて遊んだ。
また『バーチャファイター』なんかもここで見て、衝撃を受けたものだった。

個人的には、ここで『アウトランナーズ』をひたすらやり込んでいた。
裏ワザで、左右の選曲ボタンを同時に押すと「ジングルベル」が流れるのだが、クリスマスイブにそれをBGMにして遊んでいた……なんて思い出もあったりもする。

ほかにも子供用の遊具などもたくさんあり、親にとっては買い物に連れてきた子供をここで遊ばせておき、中高生はこの近辺にはない大きなセガの直営店として遊ぶ。
まさにゲームセンターとして、理想的な状況にあったのだ。
この頃が、一番輝かしい時期だったと言えるだろう。

しかし、90年代半ばには自分が地元を離れてしまったこともあり、その後の顛末は不明瞭だ。


2階の時代(2000年代?)

次に見たときには、すでに2階のわずかなスペースに追いやられていた。

恐らく、セガがテナントから撤退したのだろう。
窓際の広々としたスペースはファーストフード店となり、ゲームはほんのわずかな筐体が、2階で稼働するのみだった(それでも『バーチャファイター4』が稼働していた記憶はある)。


現在も、ヨーカドーのゲームコーナーは、2階で営業を続けている。
ゲームは『太鼓の達人』『マリオカート アーケードグランプリ2』などが設置され、他にはプライズマシンが並べられている。

かつての「親が買い物に連れてきた子供を遊ばせておく場所」という役割は残ってはいるものの、もうひとつの「中高生が最新ゲームを遊ぶ」という場所では、もうなくなってしまった。
しかし、それでもイトーヨーカドー函館店がオープンしてから続いているとおぼしきゲームコーナーは、今もその歴史を途絶えることなく、子供達に遊びを提供し続けているのだ。


大きな地図で見る

イトーヨーカドー函館店の大通り沿いのガラス張りスペース。
この内側がすべてゲームコーナーだった時期もあったが、もはや遠い昔の話……。


  1. 2013/01/14(月) 23:59:59|
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